硯の洗い方
ここでの硯の洗い方とは、愛硯家が養硯のために行う、いわゆる「洗硯」とは異なり、通常の硯の使用後における硯の洗浄である。
古人は「三日顔を洗わずとも、硯は毎日洗わなければならない。」と述べている。詩語にも「涤硯」といい、硯を洗うことは文房に嗜好を持つ者の日課なのである。また硯を清潔にしておくことは、趣味を持つ者の最低限のたしなみであるともいえる。
良い磨墨、溌墨を得るためには、硯は使用する都度、必ず洗わなくてはならない。硯面に墨液が残っていると、膠分が硯面に付着し、次回の磨墨の妨げになる。また膠は完全に乾いて定着すると、容易に落ちないものである。使って2〜3日では墨液は定着しないが、数週間洗わずに放りっぱなしにした後はすっかり固着してしまい、水で洗浄した程度ではなかなかその痕跡を落とすことはできないのである。
硯を洗うための洗浄用具としては、スポンジ、脱脂綿、ヘチマなどが用いられる。昔は蓮の花房を干したものや、乾燥した海綿なども用いられることがあった。硬い歯ブラシやタワシは、硯材に硯面に傷がつくことがあるので、固くこびりついた宿墨を落とす場合以外は使用をすすめられない。
愛硯家がよく用い、安価で入手しやすく、お勧めなのは脱脂綿である。薬局などで「カット綿」として売られているものである。これは硯面を傷つけることなく、汚れをよく落し、手指によってついた油脂もよく拭い去ってくれる。また洗い終わってから、硯に付着した水滴をぬぐうにも便利である。使い終わった後はしぼって乾かしておけば、繰り返し使用することができ、経済的でもある。
手のひらに収まる小さな硯を洗うときは、手でしっかりと持って流水で洗えば良い。このとき蛇口の角で硯面を傷付けないように、またうっかり取り落とすことがないように丁寧に洗う。
墨痕の周辺が強く付着して脱脂綿だけでは落ちにくい時は、指の腹で強くこすって落とす。このとき手の脂が硯面につかないように、事前に手は洗っておくのが望ましい。
しかし少し大き目の硯を洗う場合は、取り落としてシンクに当たらぬよう、下にマットなどを引いておいた方が良いだろう。
洗った硯は、よく水滴をぬぐってから乾かす。この際にも、脱脂綿は便利である。水道水で洗って水滴が残っていると、白くカルキの後が残ることがあるからである。
使い終わった硯は、やむを得ずすぐに洗うことが出来ない環境でも、墨液はぬぐっておくべきである。その場合も脱脂綿は重宝する。反古(ほご)になった紙は、余分な墨液を吸収することに用いるのは良いが、これで硯面をこすってぬぐってはいけない。鋒鋩が目詰まりすることがあるからである。
もっとも、余分な墨液は大書するなり画を描き散らすなどして無駄なく使い切るべきである。都度、必要なだけ墨を用意し、墨を残さぬようにするのが練達者である。